第23話「昔から人々を魅了してきた十国峠からの絶景」

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ページ番号1009849  更新日 令和3年3月30日

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あたみ歴史こぼれ話(本編)

「あたみ歴史こぼれ話」第23話の画像
「あたみ歴史こぼれ話」第23話(令和3年(2021年)3月号掲載)


※広報あたみの原本をご覧になりたい場合は、
以下のリンク先からご覧ください。

あたみ歴史こぼれ話―本編の後に

このコーナーでは、「あたみ歴史こぼれ話」で
掲載しきれなかったことを中心にご紹介します。
本編を読み進んだ後に、ご覧ください。

※このページで掲載されている画像は、閲覧のみ可能といたします。
 画像の保存、複製及び使用は禁止といたしますのでご遠慮ください。

【十国観望の碑の建立】

 『熱海市史』によると、天明3年(1783年)8月、丸山(十国峠)の山頂に
 日金山の山霊供養と観光宣伝ために「十国観望の碑」が建てられました。
 この碑では、単に方角によって遠望される国々を挙げるにとどめ、登頂者の
 便を図っています。碑面には次のように刻まれています。

  伊豆国加茂郡日金山頂
  所観望者、十国五島、
   自子至卯(「ね」(北)より「う」(卯)にいたる)、
   相模国・武蔵国・安房国・上総国・下総国、
   自辰至申(「たつ」(南東)より「さる」(南西)にいたる)、
   其国所隷之五箇島及と遠江国、
   自酉至亥(「とり」(西)より「い」(北西)にいたる)、
   駿河国・信濃国・甲斐国
  天明三年八月、東都林居
  士諸鳥出雲光英・源清候
  等、応熱海里長渡辺房求
  之需、建之、

 ※この石碑に刻まれている十二支は、方角を表しています。
  (「子」=北から時計回りに「亥」=北北西まで)
  「辰」、「申」、「亥」は、厳密には東北東、西南西、北北西を
  指しますが、このページでは分かりやすくそれぞれ南東、南西、
  北西としました。

 この碑の中にある伊豆の五島というのは、初島・大島・利島・三宅島・
 神津島を指しています。
 この碑は、山頂に建てられたものとしてはおそらく登山史上最初の碑であり、
 「十国峠」という名称も、これによって明治以降に言い慣わされるように
 なったものと思われます。


【丸山(十国峠)から見える国々と島々】

 さらに『熱海市史』によると、十国観望の碑が建てられる前の元文4年
 (1739年)、田中伯元が、『熱海紀行』附録において、この碑が示す方角に
 眺められる山水や宿駅を詳しく述べています。彼は丸山から箱根に通ずる
 背通道に触れた後、「丸山登覧方角」について、以下のように書いています。

  右之方、戌亥(北西)にあたり富士山木立よりみゆる、甲州籠山・
  足高山・箱根二子山・駒ヶ嶽・山中茶店・列樹松・玉沢山・三島町・
  沼津町・狩野川・千本松原・吉原・田子浦・浮島ヶ原・柏原の池・
  富士川みゆる、川上高山、甲斐身延山続遠山、信濃山九月末より雪有、
  富士川向、蒲原山・薩埵山・庵原・袖師ヶ浦・三穂(保)崎、
  晴天成日は、駿府・久能山・遠州相良山まで見ゆる、
  左之方、冬古谷村・韮山・田中山・近江山・狩野谷山続・天城山・
  矢羽津ヶ嶽・小室山・小富士・川奈崎・手石島・大島・初島・伊東崎・
  宇佐美崎・網代・熱海崎迄みゆる、
  沖に高くみゆる島神津島、平に見ゆる島利島、
  冬晴天成日は、大磯・江之島・三浦三崎・安房・上総・江戸前見ゆる、
  前之方、君沢郡、田方郡北条・蛭ヶ小島・江間、駿州日守・大平・戸倉・
  香抜(貫)山・鷲巣(頭)山、後に内浦の海・尾(大)瀬ヶ崎・
  さなけ(ぎ)山みゆる、後之方、相州土肥谷・吉浜・門川・福浦・真鶴・笠島、

『熱海温泉図考』内の丸山(十国峠)の絵図の画像
丸山(十国峠)の絵図(出典:『熱海温泉図考』)


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このページに関するお問い合わせ

教育委員会 生涯学習課 網代公民館 歴史資料管理室
〒413-8550 熱海市中央町1-1
電話:0557-48-7100ファクス:0557-48-7100
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。