第7話「熱海駅に停車して丹那トンネルを最初に通った列車の行き先は?」

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ページ番号1009098  更新日 令和2年7月28日

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あたみ歴史こぼれ話(本編)

「あたみ歴史こぼれ話第7話の画像
「あたみ歴史こぼれ話」第7話(令和元年(2019年)11月号掲載)

※広報あたみの原本をご覧になりたい場合は、
以下のリンク先からご覧ください。

あたみ歴史こぼれ話―本編の後に

このコーナーでは、「あたみ歴史こぼれ話」で
掲載しきれなかったことを中心にご紹介します。
本編を読み進んだ後に、ご覧ください。

※このページで掲載されている画像は、閲覧のみ可能といたします。
 画像の保存、複製及び使用は禁止といたしますのでご遠慮ください。

【有形文化財に指定された現場日誌】

 当時の工事の様子が分かる資料『丹那隧道東口(熱海口)現場日誌』が、
 丹那トンネル工事の際、鉄道省に勤めていた従業員の家族の方から、
 平成27年に熱海市に寄贈され、平成30年3月に熱海市指定有形文化財に
 指定されました。その一部を紹介します。
 ※紹介している箇所は、大正10年4月1日に崩落事故があった直後
 (大正10年4月9日・10日分)のものです。

  「四月九日
    一、午後五時頃生存者十七名ヲ娯楽所に移ス
    一、此ノ日ヨリ死体探索専門トナル
      西口よりの応援隊ハ解散帰所ス

   四月十日 
    一、昼間電燈停電シ夜間ノミ点検ス
    一、午前中坑内ノ救護所及暗室ヲ撤廃ス
    一、前田北沢連日ノ夜勤ノ為メ休業ス」 (「日誌1」より)


【困難を極めた丹那トンネル工事】

 度重なる崩壊により犠牲者が多数発生し、大量の出水が作業員を
 苦しめました。『丹那トンネルの話』(鐡道省熱海建設事務所)では
 以下のように書かれています。

  「大正十年陽春の四月一日午後四時二十分頃、熱海口の坑口から
   約千呎(フィート。1フィート=約30.5センチメートル)奥に
   入った處が、一大音響と共に約二チャイン位(約百三十呎)
   崩壊しました。(中略)そして崩壊した處は、トンネルの大きさに
   掘り擴げられてコンクリート巻きにかゝつてゐた處でありました。
   ですからこの崩壊の為に、坑奥と坑口が中断されて、奥で仕事を
   してゐた十七人は退路を遮断され、逃げ路を失つて、生ながら
   閉塞されました。崩壊の個所で仕事をして居りました十六名が
   生埋めになりました。(中略)崩壊と同時に中の様子を見ようと思つて
   恐る恐るカンテラで手さぐりに近づいてみますと、ドツト物凄い音が
   して、其度に疾風が起り、持つてゐたカンテラの灯が消えて仕舞ふのは
   口に云はれぬ怖ろしさでした。」 
   (「十三、世間の同情を蒐めた最初の大事故」より)

  「何しろ丹那盆地を中心とする一圓の山骨の割目に、千古湛へられて居た
   地下水が、坑道に向って此處を先途と噴き出したのですから、
   たまりません。殊に三島口四千九百五十呎の断層から七千呎迄の間及び
   熱海口九千呎から一萬呎邊り迄の水の劇しさは、見た人でなければ到底
   想ひもよらぬ事でせう。(中略)熱海口でも九千呎から先きは猛烈に
   水が流れ出て、それが三百封度(ポンド)といふ力を持つて居りました。
   普通消防ポンプのホースから出る水の力は二三十封度位のものですから、
   それに比べて三百封度はどの位のものか、圖面も見ながら想像して
   下さい。」 (「十六、水との戦ひ」より)

 丹那トンネルの工事では、多くの作業員が命を落としましたが、その殉職者の
 慰霊碑が丹那トンネル東口の真上に建立されています。


【丹那トンネル開通の様子】

 このような犠牲や苦難があり、昭和9年12月1日に開通した丹那トンネル。
 その開通とそこを通過する列車については、多くの新聞で取り上げられ
 ました。東京駅でも乗客が殺到し、遠くは三重県の新聞(勢州毎日新聞)でも
 取り上げられる程でした。新聞では、当時の状況を以下のように熱狂的に
 伝えています。

  「(中略)アヽ待望の處女列車!霜凍る夜空にドンと花火が打ち上り
   通過列車を全町の隅から隅まで傳へた、熱海驛や隧道入口に群がる人々、
   手に手に小旗をもつてドッとあがる歓聲だ、歓聲だ、(中略)停車する
   毎に町の人々は驛に押しかけて万歳を浴せかける、車窓から出る顔々々
   「お目出度う」「お目出度う」微笑み交す人々の心の美しさそのどの顔も、
   丹那隧道工事十六年を心から無言のうちにたゝへて居る」
   (讀賣新聞 昭和9年12月1日号 8面(静岡讀賣))

  「(中略)今まで閑散だつた改札口前が狂氣じみた群衆にもまれ出した、
   四つの改札口前に集まつた人々がざつと二千人、みんな地下道の奥の方を
   ながめながら早くも押し合ひへし合ひ順番を争ひはじめるとそこへ
   興奮した乗客はいよいよいきりたつて九時四十分改札されるとまるで堤を
   きつた洪水の勢ひで「ワアッ!」と鬨の聲をあげて地下道へ雪崩れ込み
   そのまゝ列車にとび込んでこんどは猛烈な座席の争奪戦をはじめた、
   ホームから列車の中はあちこちに喧嘩の花が咲くほどのこみ合ひだ、」
   (讀賣新聞 昭和9年12月1日号 7面)

『丹那隧道東口(熱海口)現場日誌』の画像
文化財指定された『丹那隧道東口(熱海口)現場日誌』
熱海市立図書館で閲覧できます。
※市指定有形文化財のため、閲覧の際には取り扱いに
十分ご注意ください。
丹那トンネル殉職者慰霊碑の画像
丹那トンネル殉職者の慰霊碑
「勢州毎日新聞昭和9年12月1日号」の画像
丹那トンネル開通を大々的に掲載した勢州毎日新聞記事
(昭和9年12月1日号)
※大きい画像をご覧になりたい場合は、下の添付ファイル
(「勢州毎日新聞記事」)からご覧ください。

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 生涯学習課 網代公民館 歴史資料管理室
〒413-8550 熱海市中央町1-1
電話:0557-48-7100ファクス:0557-48-7100
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。