第14話「郷土の義人 釜鳴屋平七」

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ページ番号1009107  更新日 令和2年7月28日

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あたみ歴史こぼれ話(本編)

「あたみ歴史こぼれ話」第14話の画像
「あたみ歴史こぼれ話」第14話(令和2年(2020年)6月号掲載)

※広報あたみの原本をご覧になりたい場合は、
以下のリンク先からご覧ください。

あたみ歴史こぼれ話―本編の後に

このコーナーでは、「あたみ歴史こぼれ話」で
掲載しきれなかったことを中心にご紹介します。
本編を読み進んだ後に、ご覧ください。

※このページで掲載されている画像は、閲覧のみ可能といたします。
 画像の保存、複製及び使用は禁止といたしますのでご遠慮ください。

【老母や妻子へ宛てた手紙】
 
 賃金を支払わない阿漕な網元に怒った元網元の釜鳴屋平七は、200人以上もの
 漁民の先頭に立ち韮山の代官所へ直訴しましたが、代官所の役人に捕えられ、
 韮山の牢獄での生活を余儀なくされました。

 その牢獄の中で認(したた)めた、家族あての手紙は次のようなものでした。
 「火急之義ニ付以手紙御頼申残し候 然ば 去ル辰年中より当亥年まで
  八ヶ年之間出入一件ニ付種々致心労 永々糾命(きゅうめい)仕罷在候所 
  今般江戸差出し被仰付 御差出期ニ相成申候 我等事 村方一統之為と存 
  兼而(かねて)覚悟致居候事故 何様相成候得共不可苦候得共 老母始メ
  妻子まで及渇命(かつめい)候間 其砌(みぎり) 我等持網村方へ引渡し
  候節 対談仕候通り水揚高半分 永代我等方へ無相違御売渡し可被下候
   是又河原ゆ村益之義 老母妻子為養育の義 喜之助一代之間 当年より
  無益ニて御預ケ可被下候
   左様ニ相成候上は 何国ニ罷在候ても 愈安堵(あんど)相暮し 何分ニも
  此段御聞届ケ可被下候 猶又家名欠所ニも相成候へば 名前之処 二見やと申
  なわ平重と みうじは村海と申 此義親類中へも紙面差遣し候間 名前替
  致遣し候 先祖祭り出来仕候様被成下様 此段偏ニ奉願上候 先は如此に
  御座候                         恐々謹言

   七月八日(文久三年) 
                              平七より

   母さま
   おふさどの
   せがれども
   文次様
   伯父様
   外親類中 」 

 この手紙で、平七は、村方にゆずった網の水揚高の半分を約束どおり
 売り渡してほしいこと、老母や妻子の養育のため、子の喜之助一代に限り
 河原湯の経営収入にかかる村益(税)を免除してほしいことを申し入れました。
 また、韮山の代官所の処断で家名「釜鳴屋」を没収されたため、屋号を「二見屋」、
   名を「平重」、苗字を「村海」と改めており、家族には先祖の祭りを
 欠かさないでほしいと頼んでいます。
  (参考:『熱海風土記』山田兼次著、『熱海市史』)


【釜鳴屋平七像を作成した熱海市最初の名誉市民】 

 ムーンテラスの階段途中に、釜鳴屋平七像(記念像)が建てられています。
 これは、熱海市で最初の名誉市民となった澤田政廣(さわだせいこう)の作です。
 彼の生涯についても少し触れておきましょう。

 明治27年(1894年)、熱海で廻船宿を営んでいた澤田小兵衛の三男として
 生まれた政廣は、大正2年(1913年)旧制韮山中学校在籍時に芸術家を志し、
 木彫家山本瑞雲(高村光雲の高弟で熱海出身)に弟子入りしました。
 大正10年(1921年)に第3回帝展に「人魚」が入選、大正13年(1924年)に
 東京美術学校彫刻別科で朝倉文夫等の指導を受け、第5回帝展で「銀河の夢」が
 特選となりました。昭和27年(1952年)の第8回日展に出品した「三華」により、
 翌年、日本芸術院賞を受賞。昭和37年(1962年)、日本芸術院会員となりました。

 釜鳴屋平七像が建てられたのは、昭和46年(1971年)、政廣が77歳の時でした。
 木彫作品をはじめとする、幾多の傑出した作品を作り上げてきた功績が認められ、
 昭和48年(1973年)に文化功労者となり、昭和54年(1979年)に文化勲章を
 受章しました。

 市では、昭和49年(1974年)に第一号名誉市民として彼を顕彰、昭和62年
 (1987年)には、熱海梅園に隣接して「熱海市立澤田政廣記念館」(現在は
 「熱海市立澤田政廣記念美術館」)を開館しました。

 1988年(昭和63年)、93歳で亡くなった後に従三位に叙され、勲一等瑞宝章を
 追賜されました。

平七が家族に宛てた手紙の画像
平七が家族に宛てた手紙
釜鳴屋平七像の画像
澤田政廣作の釜鳴屋平七像
当初は熱海海浜公園に建てられましたが、現在はサンビーチ横の
ムーンテラスの階段途中にあります。
澤田政廣作の銘板の画像
像の脇に澤田政廣作を示す銘板があります。
武者小路実篤揮毫の銘板の画像
像の下には、平七の功績を称えた武者小路実篤揮毫の銘板があります。

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 生涯学習課 網代公民館 歴史資料管理室
〒413-8550 熱海市中央町1-1
電話:0557-48-7100ファクス:0557-48-7100
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。